戦争経験者のおじいさんが教えてくれたこと

先週はパパが平日の夜全て会食でいなかっために、むーたんと二人っきりの寂しい夕食が続きました。来週も出張でほとんど家にいないため気分が滅入ります。全てにやる気が出なくて、タラタラと洗い物をしていたとき、ふと以前出会ったおじいさんのことを思い出しました。

むーたんのあさんぽで出会ったおじいさん

お寺の境内へ出発!

日差しの強いある夏の日、涼しいうちにお散歩をすませておこうと、私は早い時間にむーたんとお家を出て、恒例の散歩コースになっているお寺の境内へ向かいました。そこは由緒正しきお寺で、広大な敷地には古い桜の大木や藤棚、美しいモミジの木が植えられていて、人間が散策するにも気持ちの良い場所なのです。
お寺には当然、礼拝にきている方もいます。その日も優しそうなおじいさんが一人、石像に向かって丁寧に手を合わせていました。そんなおじいさんを少し離れたとこからじっと見つめるむーたん。むーたんのお散歩はいつも興味と恐怖のせめぎ合いなのですが、その時は興味の方が勝ったようです。

おじいさん、こんにちは

お祈りを終えたおじいさんが振り返ったので、むーたんと目が合う形になりました。むーたんはやっぱりじーっとおじいさんを見つめています。おじいさんもしばらくむーたんを見つめていましたが、優しそうな瞳を細めて「かわいいねぇ。」と言いました。とても穏やかな声でした。しかし決してむーたんに近づいたり触ったりしようとしません。じっとむーたんを見つめ返し、もう一度「本当にかわいいねぇ。」と言いました。

おじいさんが昔飼っていた犬のお話

戦時中の犬たち

むーたんもおじいさんも見つめ合ったまましばらく動かないので、どうしたものかと思っていたら、おじいさんが話しかけてくれました。

「実は僕も昔ね、犬を飼っていたんですよ。すっごく可愛い犬でね。柴のような犬だったんだけど…。」

少し黙ってからおじいさんは続けます。

「僕が子供の頃はまだ戦争中だったんです。たくさんの人が戦争へ出かけて行きました。それでね、当時は物資がなかった。背嚢っていう背中に背負うカバンを作りたかったけれど、その材料もなくなってしまいました。そこで犬の皮が使われることになったんです。僕の犬も連れて行かれました。お国のためだからって日の丸を背負わせてね、バンザイ!バンザイ!って送り出したんです。本当にかわいそうなことをしちゃってね…。」

思いがけない話を聞いて、私は言葉を失いました。おじいさんは再びむーたんに視線を移し、「かわいいなぁ。本当に。本当にかわいいなぁ。」と言いました。そしてこう続けました。

「がんばって生きるんだぞ。小さくて可愛い子だ。がんばれ、がんばれ。」

何も言えないでいる私に笑って会釈をし、おじいさんはお寺を出ていきました。私は胸が苦しくなって、急いでむーたんパパが待っているおうちに帰りました。

おじいさんの言った言葉の意味

突然聞かされた衝撃的な話に、私はひどく動揺してしまいました。でもそのおじいさんが愛犬のことをとても大切に思っていたこと、ずっとその子のことを忘れずに生きてきただろうことはわかりました。そして世の中が平和になってからも、きっと新しい犬を迎えることはしなかったのだろうと思いました。

私の祖父は特攻隊の生き残りだったので、幼い頃に戦争の話はよく聞かされていたのですが、犬が戦争で徴用されていたというのは初耳でした。しかし話の内容以上に、私はおじいさんの「がんばれ」という言葉が、何よりも胸に突き刺さるように感じたのです。

長い間優しい表情でむーたんを見つめていたおじいさん。それでも決してむーたんに触れようとはしなかったおじいさん。どんなに愛犬のことを大切に思っていても、どんなに守ってあげたくても、どうすることもできなかったのだと思います。離れ離れになってしまった愛犬のことを想って、おじいさんはきっとむーたんに「長生きできなかった愛犬の分も、がんばって元気に生きるんだよ。」と言ってくれたのだと思います。幸せな人生を全うするように、がんばれと言ってくれたのだと思うのです。

最後に

あの時の私はあまりの衝撃に言葉が出てこなかったのですが、もしもまた会えたらあの日なにも言えずにただ立ち尽くしていたことへの謝罪と、むーたんの幸せを応援してくれたことに対してお礼を伝えたいです。むーたんとの一日一日を大切にしていること、おじいさんの話をよく思い出すこと、そんなことを伝えたいと思います。