愛犬と一緒に暮らしていると、自分たちのことを「ママ」「パパ」と呼ぶようになりますよね。我が家でも、むーたんパパはむーたんを迎えてからずっと「パパ」なのですが、私はいつも「お姉ちゃん」と言っていて、この先もむーたんママになることはありません。それには実家のわんこの存在が関係しているのです。
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私が家を出てから子犬がやってきた
私は小さな頃から犬が大好きで、いつか犬と一緒に暮らすことを夢見ていました。お父さんの「○○したら飼ってやる。」という言葉を鵜呑みにし、肩を揉み、お手伝いをし、勉強も頑張ったのですが、小学生の時はマンションと借家に住んでいたので飼うことはできませんでした。中学生になっていよいよ念願のマイホームに移ったので、「ついに!!」と期待したのですが、両親から「勉強の邪魔になるから」「先に死んでしまうのがつらいから」などと反対されて、結局私が実家に住んでいる間に犬を迎えることはありませんでした。
しかし、私が大学で上京したことをきっかけに、私がいない寂しさを埋めようと、両親は犬を迎える決断をしたのです。一家の中で誰よりも犬と暮らしたがっていた私がいなくなってから犬を迎えたことに、最初はものすごく怒りを感じましたが、帰省した時に抱き上げた子犬が膝の上でモゴモゴ動くのが可愛くて可愛くて、私は怒りを沈めざるを得ませんでした。
実家に来た子犬の名前はこうちゃん
猫のように気ままなこうちゃん
コロコロした子犬はヨークシャーテリアの女の子で、「こうちゃん」と名付けられました。本当に犬なのか疑いたくなるほど我が道をいく性格で、名前を呼んでも来ないし、気が乗らないと触らせてもくれません。リードに繋がれたお散歩よりも家の庭を自由に歩き回る方が好きで、母はお散歩に連れていくのを諦めてしまいました。そんな自由気ままなこうちゃんに私はメロメロになり、こうちゃんが快適に過ごせるよう色々と心を砕いたものです。
こうちゃんはお留守番が大嫌いなので、家族が家に帰ってくると大喜びで玄関までお出迎えしてくれます。父や妹が着替えたり、母が荷物を片付けたりしている間に、私は全ての荷物を放り投げてこうちゃんの出迎えに応え、思う存分わしゃわしゃしてあげました。窓をカリカリされれば何をしていてもすぐに中断して庭に出してあげ、おもちゃを咥えて持ってきたらテレビを消して遊び 、撫でろと言われれば腕がつりそうになっても撫で続けてあげました。
そうしているうちに徐々にこうちゃんは心を許してくれ、縁側で一緒に日向ぼっこさせてくれたり、私のお腹の上で寝てくれるようになりました。夕方になると私とお散歩に行くために玄関で待つようになり、私が名前を呼ぶと近寄ってくるようになって、他の家族をびっくりさせるほど、私はこうちゃんと仲良くなっていったのです。
当時、私ととても仲が良かった妹は、こうちゃんに私を取られたと言ってむくれていました。母はこうちゃんのことを私たち姉妹の後にできた末っ子の妹のようだと言い、こうちゃんに話しかけるときも「こうちゃん、お姉ちゃんが帰ってきたよ。」「お姉ちゃんとお散歩行ったら?」というように、私のことを「お姉ちゃん」と言うようになりました。
私を助けてくれたこうちゃん
私とこうちゃんはとても気が合いました。二人ともお留守番は嫌いだし、縛られるのも嫌いだし、虫も大っ嫌い。家でゴキブリが出た時は二人ともパニックになるので母がこっそり新聞紙を引き寄せるのですが、その様子を見ただけで私たちは大騒ぎです。
ある日、ポカポカと陽気な天気に誘われてこうちゃんと縁側で日向ぼっこをしていた時のこと。大きなミツバチがこちらをめがけてぶーんと飛んでくるではありませんか!家の中に逃げる時間的余裕はなく、私は悲鳴をあげながら縁側の上を走って逃げました。異変に気付いたこうちゃんもバッと飛び起き、私の後を走ってついてきます。何事かと飛んできた母と妹は、ケラケラ笑いながらその様子を眺めていました。
ミツバチは縁側の端っこに追い詰められた私に向かって、まっすぐに飛んできます。あまりの恐怖に泣き出しそうになった私の前に立ちはだかったのは、なんと私と同じく虫が大嫌いなはずのこうちゃんでした。まるで私を守ってくれるかのように前に立ち、ミツバチに向かって吠えたてます。ミツバチはそんなこうちゃんのことを気にもかけていないようでしたが、そのうちどこかへ飛んでいきました。母と妹は「こうちゃんも怖かったから吠えただけでしょ。」と言うのですが、私は絶対にこうちゃんが守ってくれたと思うのです。
こうちゃんを襲った悲劇
妹の家出
私の実家は今でこそだいぶ落ち着きましたが、私が大学生の時はなかなかに荒れた家庭でした。母親が更年期を迎えて鬱っぽくなり、家の中では夫婦喧嘩や親子喧嘩が絶えず、そんな険悪なムードの中で天真爛漫に靴下をブンブンするこうちゃんに癒されることもありましたが、家族の間には徐々に亀裂が入っていました。
そして私が上京して3年ほど経った頃、ついに地元の大学に通っていたはずの妹が家出し、一切連絡が取れなくなってしまいました。安否さえ確認できず、両親は深く傷ついたようでしたが、私が何より心配だったのはこうちゃんのことでした。今まではソファの裏やお父さんの椅子の上、台所のもふもふした敷物の上など、暖かくて快適なお気に入りの場所で過ごしていたのに、妹が出て行ってからは冷たい玄関の靴入れの下に潜るようになってしまったのです。私が呼んでも出てこず、妹が帰ってくるのをそこで待っているようでした。できるだけこうちゃんの近くにいてあげたくて、私はより頻繁に東京と岡山の間を行き来するようになり、時には寒い玄関でこうちゃんと一緒に過ごしたりもしました。
1年経っても2年経っても妹は帰ってきません。妹がいないことへの寂しさは消えませんが、そのうちみんな妹がいない生活に少しずつ慣れていきました。こうちゃんも相変わらず玄関の下に潜ることはありましたが、時間とともに精神的な落ち着きを取り戻していったようで、私が実家に帰ると私のお腹をベッドにして寝たり、一緒にお散歩に行くようになりました。
妹が連れて来たチワワ
妹がいなくなってから約3年が過ぎた頃、母から電話がかかってきました。ついに妹が帰って来たというのです!その頃私は社会人になっていて仕事中だったのですが、上司に事情を説明してお休みをもらい、すぐに帰省しました。みんなで再会を喜び、その夜は家族みんなでごはんを食べて、夜遅くまで妹と二人で飲みに出かけました。妹は実家のすぐ近くで一人暮らしをしていたそうです。長い間家に帰りたいと思っていたらしく、両親もその希望を受け入れ、すぐに引っ越しの用意がされました。
ここまではよかったのですが、妹が帰ってくるときに問題が一つありました。それは妹が家出している間に、りんごちゃんというチワワを飼っていたことです。妹が実家に帰るとなると、当然りんごちゃんも実家で暮らすようになります。こうちゃんは他の犬が大の苦手なのです。
こうちゃんは自分のことを人間と思っているのか、鏡に映る可愛い自分の姿さえ避けていました。そこにやってきた元気いっぱいのりんごちゃんは、一緒に遊びたくて、年を取ったこうちゃんを追いかけ回します。こうちゃんも必死に逃げるのですが、あまり早く走ることもできず、隅っこでブルブル震えることしかできません。お気に入りの場所もりんごちゃんがいるので近づけなくなり、大好きなおもちゃもりんごちゃんが使うので遊べなくなってしまいました。何より、自分を置いていったはずの妹が、他の場所で他の犬と暮らしていたことにひどく傷ついたようで、自分の手を激しく噛むようになってしまったのです。
こうちゃんまで鬱病に
あまりにもひどく手を噛むので、心配した母がこうちゃんを動物病院に連れて行くと、獣医さんから鬱病だと診断されました。安定剤を処方されたという話を母から電話で聞いた私はすぐに妹を一人暮らしさせるように言いましたが、やっと帰ってきたばかりの娘を再び追い出すことができなかった母は、苦しむこうちゃんとそれに気付かない妹の様子を見て、再び鬱々とするようになってしまいました。
父と妹は悪い人間ではないのですが、こうちゃんが震えているのを見ても「こうちゃんがんばれー!」と言うだけで、助けてあげたりはしません。もちろんこうちゃんのことは好きなのですが、二人ともあまり繊細な性格ではなく、犬の気持ちに気付けないのです。母のことも「心配性だなぁ」くらいにしか考えておらず、それがまた母にとってもよくない環境になっていたのでした。
妹の結婚で一件落着
幸いなことに、妹は戻ってきてしばらくすると、お付き合いしている男性と結婚したいと言いだしました。これなら誰も傷つくことなく、りんごちゃんとこうちゃんを離すことができます。母は妹の結婚に少し反対しているようでしたが、こうちゃんのためにも早く結婚させてあげようということになり、早々と縁談がまとまりました。そしてこうちゃんは再び穏やかな環境でのんびり生活できるようになったのです。
むーたんを迎えることになって
こうちゃん一筋の存在に
妹が家出をしたことで、こうちゃんは心に深い傷を負いました。やっと平穏な生活を送れるようになったこうちゃんを、二度と傷つけたくありません。犬嫌いなこうちゃんが幸せに暮らせるように、私は他の犬に心奪われることなく、ずっとこうちゃんだけを愛している存在でいるべきだと思ったのです。そのため、むーたんを迎える時は色々と葛藤がありました。
むーたんと出会ってしまったパパ
むーたんと運命的な出会いを果たしたのはパパの方でした。日曜日のお昼にむーたんと初めて出会い、一目見て心を奪われたそうです。その後も他のペットショップを回ったものの、パパはどうしてもむーたんのことが気になっていたので、私たちは閉店直前に再びむーたんのいたペットショップに戻りました。改めてむーたんと対面して「絶対にこの子がいい!」となったパパは、とはいえ本当に自分たちで飼えるのかきちんと考えないといけないと思い、その日1日じっくり考えることにしたのです。
それから私たちは、あの子犬を本当にうちに迎えるべきか真剣に話し合いました。私の中ではずっとこうちゃんのことがひっかかっていてパパほど乗り気にはなれませんでしたが、子供の頃から夢だった犬との暮らしが実現しかかっている状態に心が揺れていました。
むーたんは何があってもパパの犬
二人で話し合う中で、むーたんはパパの犬ということに決まりました。二人とも働いているので、子犬を育てることについては当然私も協力する必要があります。ただし、子犬にかかる費用は全てパパが持つこと、もし私たちが別れた場合はパパが全責任を持って育てること、むーたんは完全にパパの犬で、私はあくまでそれをサポートする立場だとすることで、なんとかこうちゃんへの気持ちと折り合いをつけることができました。
むーたんのことは大好きだけど…
このような微妙な状態で始まったむーたんとの生活は、今やすっかり私にとって日常になりました。むーたんがいない生活など考えられませんし、もし離婚することになったとしても私は親権を譲る気はありません (笑)。しかしむーたんと同じくらい、私にはこうちゃんも大切な存在なのです。だから絶対にむーたんを実家に連れて帰ったりはしません。
今でも実家に帰ると、こうちゃんは大喜びで私のことを迎えてくれるので、私も荷物を放り投げて全力でそれに応えます。お父さんが触ろうとすると怒るのに、私が寝そべるとぴっとり体をくっつけて甘えてきます。もうおばあちゃんになってしまってお散歩には行けなくなってしまったけど、一緒に縁側で日向ぼっこすることはできます。
心臓が悪くなり、体調を崩すことも少しずつ増えてきたと母が言っていました。歳をとって体が弱っていく様子を見るのは胸が痛みますが避けられないことです。それでも、こうちゃんの心はこれからもずっと穏やかで、私がどれほどこうちゃんのことを好きか伝わったらいいな、と思います。
私がむーたんのお姉ちゃんである理由
こうちゃんもむーたんも私にとっては世界一可愛くて大切な存在です。こうちゃんにとってお姉ちゃん的な存在である以上、むーたんにとっても私はお姉ちゃん的な存在です。むーたんママはむーたんのことを産んでくれたお母さん犬であり、私はそのお母さん犬に代わって育てさせてもらっているのです。きっとこれから新しく犬を迎えることになっても、私はずっとママになることはないでしょう。