私の実家には大きなお庭があります。春になるとハナミズキやジューンベリーの木が芽を吹き、やがてバラやアジサイ、デルフィニウムなどの花が咲き乱れ、それはまるでピーターラビットの世界に迷い込んでしまったかのような素敵なお庭なのです。私にとっては、そのお庭の中を可愛いヨーキーのこうちゃんが楽しそうに散策している様子を眺めたり、お庭が見える窓際でひなたぼっこしているこうちゃんの隣に座って、一緒にひなたぼっこを楽しんだりすることが、至福の時間なのでした。
目次
こうちゃんとの約束
1月の帰省
前回帰省したときの話をまとめた『涙が出ちゃうよ…』の記事を書いた頃から、こうちゃんはあまり具合がよくありませんでした。落ち着きなく家の中を行ったり来たりして、発作が起きたりもしました。
そんな中、妹が姪っ子たちを連れて晩ごはんを食べに帰ってきて、子ども嫌いなこうちゃんは呼吸困難になるんじゃないかと思うくらい呼吸が荒くなり、恐怖とストレスでガタガタ震えながら、妹一家が帰るまでの間ずっと物陰に隠れていたのです。ただでさえ体調がよくないところにストレスが重なったこうちゃんを、私と母はとても心配していました。
しかし、妹家族が帰宅した後に私が吐き気を催していると、さっきまで震えていたこうちゃんが私のことを心配してトイレの中までついてきてくれたのです。こうちゃんの優しさに胸を打たれ、「必ずまたすぐ帰るからね。」と言って実家を後にしたのが1月末のことでした。
3月の帰省予定
そこからしばらく、こうちゃんの体調は落ち着いていました。相変わらず食欲もあるし、毎日のんびり過ごしていたそうです。私はこうちゃんに「すぐ帰るからね。」と約束をしていたので、パパが広島出張に行く3月後半に、一緒に岡山に帰ろうと計画していました。しかし、その頃はコロナウイルスの感染者がかなり多くなっていて、ちょうど帰省の準備をしているときに小池都知事のロックダウン記者会見があり、悩んだ末、一旦岡山行きを断念することにしました。
ゴールデンウィーク中に急遽帰省することに
突然現れた神経障害
自粛生活をしている間、母は生きがいである社交ダンスができなくなって、退屈だと文句を言っていました。こうちゃん的にはお留守番がなくなったので、嬉しかったと思います。そんな生活が続いていたある日、突然こうちゃんの様子がおかしくなりました。
父が朝起きてごはんを食べていると、こうちゃんの首がガクッと横に傾いて、真っ直ぐ歩けなくなってしまったというのです。突然のことに両親も驚いたようですが、こうちゃん自身もすごく驚いたみたいでした。しばらくすると斜頸は治ったものの、その後動物病院で脳腫瘍の可能性ありと診断されます。
積極的治療はしないと決めた母
脳に腫瘍があるのかどうかを正確に調べるためには、全身麻酔下でのMRIが必要となります。こうちゃんはもともと心臓に持病がありましたし、もう16歳だったので、母は積極的な治療も精密検査も望みませんでした。私もそれでよかったと思っています。こうちゃんに苦しい思いをさせたくなかった母は、安楽死についても検討していたようでした。
あんなに食いしん坊だったのに食欲もガクッと落ち、ごはんもあまり食べられなくなっていたので、とにかくこうちゃんが好きなものを、食べたいと思えるものを食べさせてあげようということになりました。
こうちゃんに会いに岡山へ
当時、不要不急の外出は自粛するよう言われていたので、私とむーたんパパはほとんど家から出ないで過ごしていました。家族全員の引きこもり生活が始まって1ヶ月以上経っていたので、私たちがコロナに感染しているリスクは低いはず。新幹線もガラガラだったので、岡山へウイルスを持ち込むリスクも低いはずです。
むーたんパパもこうちゃんに会いに帰りなよ、と言ってくれたので、私はアルコール消毒液と着替えを持って、その日のうちに岡山へ帰ることにしました。
私のことが認識できない
私が岡山に着く頃には、こうちゃんの斜頸はすっかり治り、だいぶ落ち着いた様子でした。でも、いつも私が帰ると大喜びで走ってきたのに、今回は少し怯えたような様子でのそのそと母の方に歩いていきます。脳に障害が起きたせいかあまり人のことを認識できなくなり、最近は大好きだったクリーニング屋のおじちゃんのことも怖がるようになってしまったと母が言っていました。きっと私のことも認識できていなかったのでしょう。
こうちゃんが私のことを忘れてしまったのは寂しかったですが、こうちゃん自身は神経障害が現れたことを全く感じさせない様子でした。それで少し安心した私は、無理にこうちゃんにかまったりせず、遠目から様子を見守ることにしました。そして、落ち込んでいる両親を元気付けるために、ごはんを作ったりマッサージをしたりして、二泊三日の滞在期間を過ごしました。
最終日に思い出してくれたこうちゃん
三日目の朝、母のためにホットサンドを作ろうとベーコンを焼いていると、こうちゃんが目を輝かせながら足元に寄ってきました。二日目の夜にもトンカツを揚げていると油の匂いに引き寄せられてキッチンへやってきたのですが、その時とは少し様子が違います。しっかり私の顔を見つめて、嬉しそうに足元で待機しているのです。どうやら私のことを認識できているようでした。
パンをちぎってあげてみましたが、食べる気配がありません。そこで、パンにベーコンの油をたっぷり染み込ませてから渡すと、昔の食いしん坊だった頃みたいにバクバク食べるではありませんか!ごはんを食べ終わった後も私の後をついてきます。そんな様子を見て母も「やっとお姉ちゃんのこと思い出したのね。」と喜んでいました。
再び神経障害が現れる
こうちゃんのために帰省しない
私が東京に戻ってしばらくの間、こうちゃんはそれなりに元気に過ごしていました。お肉が大好きなので、ごはんに煮込んだ牛肉を混ぜてあげるとちゃんと食べていたそうです。しかし5月30日に再び斜頸が現れ、両親のことも大好きなお庭のこともあまり認識できなくなってしまいました。
再び神経障害が現れたという連絡を受けて、私は帰省するかどうか悩んだのですが、両親のことすら認識できていないところに私が帰ってしまうと、きっとこうちゃんは大きなストレスを感じてしまうでしょう。なのでこうちゃんが落ち着いて元気になったら、そのときにまた顔を見に帰ろうと思いました。でも、食欲がなくなりお水もほとんど飲めなくなったという両親の話を聞いて、もうこうちゃんに会うことはできないかもしれないな、とも思いました。
6月1日の朝
週末が明けた6月1日の月曜日、朝起きて携帯を見ると父からの着信が残っていました。「もしかして…」と思っていたらLINEにもメッセージが届いていました。
今朝、7時15分こうちゃんが旅立ちました。最期まできれいで可愛い顔をしています。
「あぁ、やっぱり。」と思いました。それでなんだか心にポッカリ穴が空いて、その穴からたくさん涙がこぼれて、目から溢れているような感じがしました。今までおじいちゃんやおばあちゃんの訃報が届いたときも、ここまで動揺しなかったのにな…。
本当はその日の午前中は車検に出す予定があったのですが、夕方には火葬業者の方が来るということだったので、車検はむーたんパパに変わってもらって急ぎ岡山へ帰ることにしました。
こうちゃんのいない実家へ
薔薇の季節
私は実家に帰ったとき、真っ先にこうちゃんに挨拶をするのが癖になっていました。門を開ける音がすると、こうちゃんはお家の中にいても誰がきたのか偵察にきます。大きな声でただいまを言うことで、玄関に入る前から私が帰ってきたことを伝えていたのでした。
このときも私はつい、門を開けると同時に「こうちゃん、ただいまー!」と言いそうになりました。でもすぐ間違いに気づいて顔を上げると、そこにはこうちゃんが大好きな庭が広がっていました。ピーターラビットが出てきそうなきれいなお庭は、薔薇が見頃を迎えていて、大きな花をたくさんつけていました。でも、お庭の中をウロウロして、いろんなお花をクンクンしているこうちゃんの姿はもうありません。それで私は家に入る前からボロボロ泣いてしまったのでした。
こうちゃんとのお別れ
こうちゃんの体は、私が1月に帰省したときに入れてあげたクリアケースの中に入っていました。ずーっとカリカリして落ち着かなかったのを、抱っこして入れてあげたら満足げにしていたあのケースです。
でも、暖かくてもこもこしていたこうちゃんとは違って、かちこちにかたくなっているのが見ただけでわかりました。
実家には母と妹、そして姪っ子(2歳と1歳)と甥っ子(1歳)がいました。子どもたちが騒がしくしてくれたので、母と私はだいぶ悲しみを紛らわすことができました。でも、火葬業者の方がこうちゃんを引き取りに来てくれたとき、最後のお別れをしようと思ってこうちゃんを抱き上げたら、体の奥の方からいろんな感情がブワーッとこみ上げてきました。幼い姪っ子が「ねぇね、だいじょーぶ?」と聞いてくれたのに、私は返事もしないでわんわん泣きました。こうちゃんがいなくなってしまったことが寂しくて寂しくてたまりませんでした。
遺骨になって帰ってきたこうちゃん
こうちゃんの火葬をお願いしたのは、ペットの旅立ちという業者さんの「個別火葬プラン」でした。担当してくれた男性の方はとても清潔感があって丁寧な方で、こうちゃんのこともすごく丁寧に扱ってくれましたし、私が号泣していても丁寧に接してくださいました。
妹はこうちゃんとお別れをしたあと、自分の家に帰っていきました。私と母はこうちゃんの遺骨が帰ってくるのを待ち、父が帰宅するのを待ちました。お別れをしてから2時間後くらいに、こうちゃんは小さな白い骨壺に入れられてお家に帰ってきました。
こうちゃんの虹の橋
その日の夜
人が悲しんでいるのを見ると悲しくなるものです。私以上に深い悲しみに苛まれているだろう両親を悲しませたくなかったので、私はお別れの後はできるだけ泣かないようにしていました。でもトイレの中やお風呂の中、お布団の中などでひとりになると突然涙がこぼれてきて困りました。
みんなで晩ごはんを食べているとき、こうちゃんの「きゅーん」という声が一度だけ聞こえました。ハッとして両親の方を見ると、二人は普通にごはんを食べていたので、聞こえたのは私だけのようです。でも「今こうちゃんの声がしたよ。」なんて言ったら、二人ともまたボイボイ泣いてごはんどころじゃなくなってしまうかもしれません。なので両親には内緒の思い出にして、心の中でとっておくことにしました。
次の日の朝
翌日は仕事に行く父に朝ごはんを作ってあげたくて、がんばって早起きをしました。「私がちゃんとしなくちゃ!」と思っていたためか、寝起きはいつになくやる気がしていたのです。なのに、一階に降りて庭で水やりをしている父の姿を見ると、その隣にいるはずのこうちゃんの姿が見えなくて、また涙がポロポロこぼれてきました。
しかし、グスグスしながらぼんやりお庭を眺めていると、なんだかこうちゃんが歩いているように見えました。大好きなお庭の中で、いつものように鼻を少し上にむけて、クンクンと空気の匂いをかぎながら、あっちに行ったりこっちに行ったりしているこうちゃんが見えるような気がするのです。私の中にこうちゃんの記憶が強く残っていて、脳の錯覚でそんな風に感じるのかもしれません。でも、それがたとえ錯覚だとしても、記憶の中のこうちゃんがお庭を散策している様子を眺めていると、少しずつ悲しいのが薄れてきました。それで顔を洗ってからお父さんに「おはよう。」と声をかけました。
その後
東京に戻ってからも、しばらくは喪失感がつきまとっていました。どうにもやる気が出なかったり、むーたんのお散歩中に急にうるっとしてしまったり、夜お布団に入った途端、急に涙が溢れてきて、むーたんをあたふたさせてしまったこともありました。そうして悲しくて悲しくて仕方なくなったときは、こうちゃんのいるお庭を思い浮かべます。
犬は命が尽きると、虹の橋の麓で飼い主が来るのを待っていてくれると言いますよね。虹の橋の麓は暖かくて、緑がいっぱいで、たくさんのお友達がいて、とても快適な場所なのだそう。
こうちゃんのお庭は今、白いアジサイがキレイに咲いています。さすがにウサギは来ないけれど、ムクドリやスズメ、つがいのヤマバトなどが遊びにきます。こうちゃんはいつも鳥たちを追いかけて遊んでいました。晴れた日に父が水やりをすると小さな虹ができます。きっと、こうちゃんにとって虹の橋の麓は、このお庭だと思うのです。母が亡くなる時まで、お庭の中をいつものように散策しているのでしょう。思っていたよりも虹の橋が近くにあって、私は良かったと思いました。実際はそんなことないかもしれないけど、そう思うことにしました。
最後に
最近むーたんブログを開いては、こうちゃんのことを報告しようと思って、その度に涙が溢れてきて書けず、しばらくブログを放置してしまいました。でもこうしてきちんと報告ができたので、これからはもう少し頻度を上げて更新できると思います。今までこうちゃんのことを気にかけてくれた皆様、本当にありがとうございました。