正しい順番

むーたんと一緒に暮らすようになって、あっという間に3年半が経ちました。むーたんの成長は本当に早いので、私はむーたんの誕生日を迎えるたび、少し悲しい気持ちになります。実家のこうちゃんも昔はいっぱい一緒に遊んだのに、すっかり年を取ってしまいました。でも、物事には正しい順番があるのだと考えるようにしています。

大切な存在を迎えて

動物が大好きだった幼少時代

私は小さな頃から動物が大好きでした。おばあちゃんちのガレージに住んでいた猫ちゃんの近くにいたくて、ガレージの掃除を口実に、真冬のガレージに長時間滞在したこともありました。小学校からの帰り道に見つけた飛べないスズメを保護しようと、1時間くらい粘ったこともあります。ファーブル昆虫記は第1話でギブアップしましたが、シートン動物記はあっという間に全巻読破し、何度も何度も読み返したものです。

ついに犬を迎えてしまった!

動物が大好きだった私は、名犬ラッシーの本を読んで、犬と一緒に暮らすことへの憧れがさらに強くなりました。残念ながら両親に反対され、私が実家にいる間は犬を迎えていません。しかし、大学進学で私が上京すると、寂しくなった両親は私が家を出た直後に犬を飼い始めたのです。それは今でも結構根に持っています(笑)。

その時に迎えた子犬はこうちゃんと名付けられ、私はすぐにメロメロになりました。こうちゃんに会いたいがために、頻繁に帰省したものです。そしてついに社会人になって、パパと一緒にむーたんを迎えることになり、私の動物好きはさらに加速していくのでした。

周囲の心配

むーたんを迎えてから、私の生活は一変しました。むーたんのことが好きすぎてペット系の企業に転職し、その2年後にむーたんをお留守番させたくなくて在宅ワークに切り替えました。外食の数もグッと減り、むーたんと2人きりの時間が増えました。一緒の布団で眠り、朝が来ると一緒に二度寝して、私が仕事をしている間むーたんはお膝の上で眠り、食事の準備をするときは一緒にキッチンに立ちます。むーたんが一緒にいることが当然になってしまって、トリミングや旅行でむーたんがいないと寂しいと思うようになりました。そんな私の暮らしぶりから、すでに周囲の人たちはむーたんがいなくなった時のことを心配してくれています。まだ3歳なのに…(^^;

特に私は在宅ワークに切り替えてしまったため、社会との接点が通常よりも少なく、それで余計に心配されるのかもしれません。パパからもしょっちゅう「むーたんはいなくなるものだからね。」と念押しされています。

いなくなった時のことを考える

ペットロスという言葉

ペットがいなくなって心にぽっかり穴が空いた状態を、一般的にはペットロスと言いますよね。でも私は、ペットロスという言葉がどうも好きになれません。まず、愛犬をペットとすることに違和感があります。こうちゃんやむーたんを「犬」「メス」「ペット」と呼ぶのには、どうしても抵抗があります。私にとってこうちゃんもむーたんも家族であり、女の子であり、大切な存在だからです。

それから、ロスという言葉も嫌です。親を亡くした時、親ロスって言わないですよね?「おばあちゃんロスでつらい。」とも絶対に言いません。ペットロスという言葉はとても冷たい響きを持っていて、私はどうも好きになれないのです。

愛犬がいなくなってしまったら

周囲からは「絶対ペットロスになるよ。」「気をつけないと。」とよく言われるのですが、気をつけるも何も、こうちゃんもむーたんもいなくなってしまったら、悲しいに決まっています。どんなに現実と向き合っていたとしても、寂しいと思う気持ちを和らげることはできません。

だって毎日一緒に眠って、毎日お膝やお腹の上にいるんです。キッチンや洗面所を覗きに来るちびっ子がいなくなったら、寂しくないはずがありません。だから、愛犬を亡くした飼い主さんが家の中に引きこもってしまったり、突然涙が出てきたりするのは、仕方のないことだと思うのです。

お誕生日は毎年寂しい

成犬は1年間で人間の4歳分、年をとります。来年むーたんが4歳のお誕生日を迎えたら、私と同い年になり、その次のお誕生日で私の年齢を追い抜いてしまいます。毎年お誕生日を迎える時は、新しい1年も元気に楽しく過ごせるようにとお祝いしますが、それと同時に「あんまり早く大きくならなくていいよ。」と、寂しい気持ちにもなります。お誕生日は成長を喜ぶ日でもあり、限りあるむーたんとの時間の大切さを噛みしめる日でもあるのです。

正しい順番

いなくなって寂しいのは私だけじゃない

こうちゃんとむーたんがいなくなった時のことを考えると、心が鉛のように重たくなります。想像するだけでこんなにつらいのですから、実際にお別れを迎えた時の悲しみは計り知れません。でも、私がふたりのことを大切に思っているように、こうちゃんもむーたんも、私のことを大切に思ってくれているはずです。もし仮に私が先にいなくなってしまったら、ふたりとも深く傷つくことでしょう。特に一緒に暮らしているむーたんは、とっても辛い思いをするに違いありません。

他の人に私たちの代わりはできない

一度パパと大げんかをして家を飛び出した時、不安そうにしていたむーたんの様子が気になってお留守番カメラをのぞいてみました。ソファでテレビを見ているパパから少し離れて、おめめをしょぼしょぼさせながら玄関の方を見つめているむーたんの姿を目にした時、私はむーたんを置いてけぼりにしたことをとても後悔し、すぐ家に帰る決心をしました。

むーたんが元気よく遊ベるのも、思いっきり甘えられるのも、それは相手が私とパパだからできること。具合が悪くなった時、のたのたとおひざにのぼってくるのは、私にそばにいて欲しいからすることです。他の人に私の代わりはできません。パパの代わりもできません。犬たちにとって、飼い主さんの代わりは絶対にいないのです。

最期まで一緒にいる

だからこそ、先にいなくなるのがこうちゃんとむーたんという順番で合っているのだと思います。ふたりが私のそばからいなくなってしまうことは想像するだけでも悲しいですが、あの小さな体にその悲しみを背負わせる方が辛いからです。苦しい時も悲しい時も最期まで一緒にいて、愛情を注いであげることが、ふたりの幸せな人生の締めくくりにふさわしいはず。その時が来たら、どんなに辛くても、その役目を全うしたいと思います。

もちろん、何があっても、悲しみや寂しさが消えることはないでしょう。しかし、この重大な飼い主としての責任をしっかり果たすことができれば、その後のふたりのいなくなった人生でも、前向きに生きていくことができるのではないかと思うのです。